なぜLLで英語を学ぶのか

 

 気持ちを新たにこれからの勉強に向かわれる皆さんへ、ひとつ私からお話ししたいことがございます。それは、みなさんがこれからこのLL教室で なぜ英語を学ぶのか そして どのような心構えで英語を学んでいくべきか、についての私の意見です。

 

 なぜこんなことをお伝えするのか。それは、私を含めて同じ教室で学ぶ皆さんに、ある程度共通した学習意識を共有していただくことは、学習環境として調和の取れた教室を作っていく上で欠かせないことだと思いますし、少なくとも、生徒さんとの大切なお時間を共有させていただく私にとって、英語または英語教育に対する私の姿勢を生徒のみなさんから知っておいていただくことは、みなさんに対する最低限の礼儀だと思うからです。少し長くなるかもしれませんが、どうかお許しください。

 

 今、世界中にはおよそ66億人の人々が生きており、そのうちの3分の1以上の人々が、生活や仕事で毎日英語を使って暮らしているといわれています。つまり世界の英語人口は日本の総人口の二十倍余りにも達し、今や英語は世界の共通語に一番近い言葉といえます。

 

 生徒のみなさんのほとんどは まだ、自分の生まれたところで暮らし、親に守られ、とても限られた世界で生きている小学生、中学生、高校生です。外を歩いても外国人などこの辺ではまだまだ多くの人には疎い存在です。たとえ出合っても、そ知らぬ顔で素通りする程度でしょう。日本に来ている(特に地方に住んでいる)外国人は多くが日本語を話せる超エリートですから、みなさんが彼らに用事があったとしても彼らとは日本語で事足りるでしょう。外国旅行に行ってさえ、日本人相手の観光地では日本語が通じ、現地の言葉を使う必要性を全く感じません。結局今の皆さんが触れる英語は、せいぜい学校の授業とテストぐらいのものです。

 

 では学校の英語は、皆さんが英語を使いこなせるようになるような訓練を十分にしてくれているでしょうか?残念ながら私のこたえはNOです。見ていると中学高校の英語は、40年前私が子供だったころとほとんど同じ、読み書き文法中心の英語読解、文法学習が中心です。とってつけたかのような小学校での英語教育が日本でもようやく最近始まりましたが、小学校では子供たちが英語に慣れ親しむことが主な目標となっているためか、皮肉なことに生徒には英語は単なるお遊びの時間としか認識されず、しかも中学校高校での英語教育とのつながりが全く感じられないものになっています。小学生たちもうすうすそれを感じ、ゲームみたいなことばかりやっていても役に立たないと、今や多くの(特に高学年の)小学生が小学校の英語に魅力を感じていません。それどころか子供たちが英語を好きになるチャンスを逃しているケースが多いのが実情です。

 また、中学へ入ったとたん英語はデスクワーク化し、細かい文法ミスにおどおどしながらペーパーテストの点数をあげるのに血道を上げる健気な毎日を送る子供たち。卒業するころには英語を使って何かをしようなどという本来育まれるべき意識などは育つはずもなく、憔悴しきった魂の抜け殻のような有様で、さらに受験地獄の激化する高校へと進学し、今度は予備校の作った偏差値表とにらめっこしながら中学時代と大して変わらない毎日を繰り返し、乾ききった心で大学へ進学していくのです。まさに子供たちは学校の英語に終始翻弄されながら中学高校を卒業し、大学でついていけない学生はろくに勉強もせず、英語の使えない大人へと成長していくのです。

 

 なんということでしょう。これでは子供たちに英語を使うことの必要性を認識させることは全く期待できません。そもそも英語を使えるようになるには自分発信型の訓練が絶対に必要なのです。中学高校と英語を6年間やったところで、たいていの人はほとんど聞き取りも満足に出来ません。答えられても、はい いいえくらいしかいえません。皆さんは、はい いいえくらいしか言えない人とお友達になりたいですか?いっしょに仕事が出来ますか?人として信じることが出来ますか?悩みを打ち明け、相談ができますか?私はテストのための勉強の意味を否定はしません。しかしそれだけでは、子供たちが実社会で役立つ語学力を身につけることは到底出来ないし、現実問題として全くできていないとここであらためていいたいのです。これは私の主張ではなく事実です。

 

 今の日本の大学生の平均英語力は世界の最下位に近い貧弱でお粗末なものです。高校はますます予備校化し、大学入試の表向きの成績を上げることに血眼になっている今の高校の現状を見るに、これからの社会を背負って立つ人材教育の場としての高校教育はいったいどうなっているのか、不安になっているのは私だけではないでしょう。

 

 こうした状況で、英語を使えるようになる勉強をしていくモチベーションをあなた方子供たちが早いころから持ち、あるいはもち続けることが並大抵なことではないことは私も承知しています。皆さんの多くは ご理解あるお家の人に勧められLL教室の門をたたかれたことと思いますが、皆さんご自身のお考えはどうでしょう?あえてLL教室に通われることをどのように考えておられますか?

 

 小中高校生の皆さんには実感はないかもしれませんが、みなさんがこれから大学に入学されると、日本人以外の大勢の留学生と接したり、大勢の外国人の先生方から勉強を教えていただく機会が飛躍的に増えるようになります。 それはもうがらりと世界が変わります。人はその時初めてつくづく思うのです。英語がもっと自由に話せたり使えたりすればよかった、と。

 

 たとえ大学に進学されなくても、日本にいても、外国の人とコミュニケーションをとりながら仕事をしていかなくてはならなかったり、外国人と社会的なおつき合いをする機会は大人になるとどんどん出てくるはずです。そんな時やっと思うのです。もっと英語を自由に操れれば、と。中学のころ、もっと英語を一生懸命やっておけばよかった、と。(後悔は先にたちませんが、中学で如何に一生懸命勉強しても英語を使いこなせるようになるには現状の学校教育では不可能です。つまり英語をマスターするには、専門的な指導者から細かくケアされたそれなりの特殊な訓練が必要になります。残念ながら、学校にはそこまで生徒を細かくケアできる余裕は全くないというのが戦後何十年たっても一向に変わらない実情です。)

 

 大学に進学しようとしまいと、外国の人たちと積極的にコミュニケートしようという姿勢はこれからの日本社会においてより求められ、その意味で外国語を操る能力はこれからの日本人になくてはならない資質であるといえます。外国のことに無頓着でいれば、日本はいつか、どこかの国のように、世界中から相手にされなくなり、ついには、かつてそうであったようにそのうち日本は外国にのっとられてしまうような危機に陥るかもしれません。(これは決して脅しではありません。ただ数年内のうちに直ちにそうなるということでもありませんから、みなさんは決して不安に感じたり動揺する必要はありません。みなさんに必要なのは未来を見越した正しい準備です。)

 

 実際に決してそんなことが起きてもらってはいけません。私たちは私たちに出来ることで、日本を、日本の伝統文化をそしてこの世界を守っていくべきではないでしょうか。そのために私たちがすべきことはなんでしょうか?いろいろあると思いますが、そのうちの大きなものが外国の勉強と日本の勉強だと思います。ここでは外国の勉強の中のひとつである外国語の勉強についてだけお話しします。

 

 外国語の勉強の手始めとして、英語が一番であることに皆さん異論はないでしょう。英語が操れれば、あなたは ほとんど全世界の人たちと おおよそのコミュニケーションができます。私は学生時代、日本人大学生と留学生の住む学生寮に住んでいましたが、その中で留学生とコミュニケートする時は、半分は日本語、半分は英語でした。相手がヨーロッパ人でもアジア人でもです。お互い英語は外国語なので、その分アメリカ人やオーストラリア人などと話す時よりは 彼らとの方がいくらかは気が楽だったことを思い出します。お酒を飲んで酔ってくると留学生の話すそれまでの日本語がだんだんなまってきて聞き取りづらくなるので、ついには途中から、じゃぁここからは英語で、という時もめずらしくありませんでした。授業でも外国の教授の講演会はすべて英語です。外国人の先生の英語の授業はもちろん全部英語ですし、英語の本は英語の授業以外でも当たり前のように山ほど読まされます。日本語で論文を書いても、そのあらすじは英語で書かされます。つまり大学生になると今皆さんが英語に接している程度の何倍も何十倍も英語を使う機会が当たり前のように増えてきて、その時になってから英語を本気に勉強しようと思っても、なかなか追いつくことができず、すでに早くから準備して来た学生とは雲泥の違いがついているということなのです。その時になってとりあえず英会話教室に行ったところで、テレビでさかんにCMしている○○○○何とかで常套句だけ取り繕って覚えたところで、あなたのハートから湧き出る言葉でつづられるまともなコミュニケーションは決して出来ません。世界のいろいろな人たちとまともにコミュニケートするならば、英語力のほかに知性や人間性が問われるのもこれまた事実です。知性と人間性を磨くことも語学にはとても大切なことです。語学は本来それ自体独立した技能ではなく、人間が人間であることと一体化したものではないでしょうか。その意味で特に、若い人はもっともっと大人と話し、いろんな経験をつまれることを語学上達のためにお勧めします。

 

 私は普段英語を教えていますが、東京本部と連絡を取るとき本部のアメリカ人とは英語で話します。連絡のメールも英語です。実際こういう職場は、英語教育関係や外資系の職場だけとは限りません。日本の多くの一般の企業が、アジアや外国とのかかわりで仕事をしていく中で英語を使うということは、今やごくありふれたことですし、これからもますますそうなっていくでしょう。

 

 まとめると、中学高校まではテストの世界に限られていた英語が、それを過ぎたとたんに仕事や大学で身の回りにあふれ出し、その時にある程度の本当の英語の力と、言葉を繰り出す能力が身についていないと対応が出来なくなってしまうということを言いたいのです。学校では全くの受身でよかったものが実社会に出たとたん急に自分発信型を求められるのです

 

 一般的に言って日本人が優秀なわりに英語が出来ないといわれる事情のひとつに今までお話してきたような教育事情があることは否定できません。外国人を見たら逃げ出すなどといって冗談をいっていたのはもう何十年も昔のことです。これからもそんなことでは、私たちの愛する日本は、そのうち外国の思うままにあやつられ、ついには根無し草のように、糸の切れた凧のように、どこかにいってしまい、その存在を見失ってしまうかもしれません。少なくとも母国が世界の中で誇りの持てる独立国であってほしいという意識はみなさんも共通ですよね?高校生だけでなく中学生も小学生もこうしたある種 屈折した現実の日本の社会、油断できない国際社会のことをよく知り、一人でも多くの若者が早くから英語を使いこなせるようになる勉強を本気でしていってほしい思います。LL教室の門をたたいたみなさんにはその目標が実現できるように、私が全力でお手伝いをしてまいります。少しでも頼りにしていただければうれしいです。

 

 誤解しないでください。私は英語至上主義者でもなんでもありません。世界中の外国人の多くが当たり前のように数ヶ国語話せるという現実の中、英語がその中の言葉に入っている確率は侮れないくらい大きい、そして日本人もそうなるべきではないかといっているのです

 

 外国の人たちが何ヶ国語かを話せるのは結構普通のことなんです。それに彼らは日本のこともずいぶん勉強されてますよ。また、外国に渡って日本のいいところや技術を紹介し、外国のお役に立っている日本人も少なくありません。世界は今、急速に日本の長所を吸収しつつあります。チームワークや和の精神、日本の食、美意識、物事や人の絆を大切にする心などは日本から世界に広まりつつあるすばらしいものだといえるでしょう。これは日本人が努力しただけでなく、外国の人が言葉を通して日本を一生懸命勉強し見習おうとしたからできたことなのです。言葉の勉強は世界平和にも十分貢献できると私は思います。

 

 もうひとつ、くれぐれも誤解しないでください。私は、学校の英語教育が全部間違っていて、学校のテストの点数なんかどうでもいいなどといっているのでは決してありません。学校教育もテストも大切です。しかし、実際の社会の求めているあなたの英語力は、決して決して そんなものではないということを知っておいてもらいたいのです。

 

(何不自由なく育てられた今の子供たちがいつか大きくなって社会に出てから、何か失敗をしでかした時、「そんなの学校で習わなかった!」などと逆に人に文句を言いそうで、私は内心びくびくしています。一人前の人間になるには学校だけでなく、いろんなところからいろんな事を吸収し身につけて実践できるようによく準備しておくことが何よりも大切ですね。自分の事を他の責任に転嫁するような人間は決して一人前の人間とみなされません。与えられるまで待つのではなく、必要なことは自分で身に着けていく姿勢を子供のころから持ってもらいたいものです。)

 

 

 ひとつ面白いエピソードを最後にご紹介します。

 

 今から30年近くも前の、出来て間もないころの大島中学校での出来事です。

大島中に一人の外国人留学生がやってきました。確かアメリカ人の男の子だったと思います。彼は英語の先生と一緒に、教室に入ってきました。どきどきするような英語の授業が始まりました。先生が中心となり、そのアメリカ人の男の子にクラスのみんながいろんな質問をして彼が答える楽しい英語の時間がすぎていきました。質問をしたのは英語が得意な、先生の言うことがすぐよくわかる利発な生徒さんたちが中心でした。授業が終わって昼休みになりました。みんなはいつものように自分たちでどこかへ遊びに行ってしまいました。まるで授業で溜まったストレスを吐き出すかのように。ひとけのないガランとした教室・・・。しかし、ただ一人?、教室でそのアメリカ人の男の子と仲良く遊んでいた男子がいました。その子は、英語なんか大嫌いで、授業中は全く発言なんかしたことのない一人の男子生徒でした。その生徒は将棋が得意で、家からこっそり持ってきた日本の将棋をアメリカ人の彼に一生懸命教えながら、二人で楽しく昼休みを過ごしていたのです。英語で?いいえ日本語で。アメリカ人の子は日本語がわかったの?いいえ全然日本語なんてわかりません。でもコミュニケーションは結構出来ていたんです。彼の話す日本語と、説明しようとする気持ちとがいっしょになって、アメリカ人の男の子にも彼のいいたいことがなんとなく伝わっていたのです。異文化と異文化の出会いはもともとこんな感じだったのかもしれません。

 

 僕はこの話を当時の僕の生徒から伝え聞き、いろんな意味で本当にショックを受けました。本当のコミュニケーション能力、文化交流とは何か。教育の持っているある種の空々しさと、教育という世界とは別次元に存在する 人間の素敵な能力をみせつけられた気がしました。彼みたいな人にこそ、英語を使いこなせる能力があるべきだ、と。そして真のコミュニケーション能力を持つ彼の英語学習意欲を十分に育てられなかった教育のやり方に、少なからず疑問を抱いたものです。点数を上げる勉強とコミュニケーション能力を高める勉強、どちらも大切ですが、学校にいる間は前者、卒業したとたんに後者が重んじられるのはなんともやりきれないことではありませんか。

 

 私は知識さえ伝えれば放っておいても外国語でのコミュニケーション能力は育つとは決して思いません。やはり子供たちはきちんとした勉強と実地訓練を経て、何年かをかけて、次第にコミュニケーションが上手になっていくのです。私はその様子をこの目で何十人何百人という生徒の確かな成長を授業やスピコンを通して何十年にもわたって見守ってまいりました。

 

 私はこれからLL教室で英語を学ぼうとする人にいいたいです。LLで英語を勉強するのは学校のテストのためだけなどと思わないでほしい。入試の科目だから、入試でいい点取れればそれでいいやなんて思わないでほしい。それはきわめて了見の狭い考え方です。なぜか?もうあえて繰り返しません。ここまで読んできてくれたあなたにはきっと伝わっているはずです。また、学校の英語の勉強が嫌いだったり、テストもいい点取れないとしょんぼりしている人がいたら、私はそんな人に大きな声でいいたいです。コミュニケートする気持ちがあって、正しい勉強方法で英語の勉強を続けて行きさえすれば、あなたの英語はまだまだ上達します。けっして諦めてはいけないということを。仮に今、テストでバツをもらっていても正しい勉強を続けていれば、大人になって丸になることはたくさんあるんです。自分をだめだなんて決め付けてはいけません。あなたを評価してくれるのは決して学校の成績表だけではないということを絶対に絶対に忘れないでください。

 

 あなたが立派な日本人になってくれるように私はこれから一生懸命あなたに英語を教えていきます。学校の英語の先生とは教え方も順番もやり方も違うし、私の教えたことが学校のテストに出ることもあまりないかもしれません。でもあなたがLL教室で学んだことは、きっとどこかで、いいえ いろんなところ いろんな場面で、たとえば学校のテストの中でさえ、大いに役に立つはずです。なぜなら英語の世界には、学校も社会も、会話もテストも区別なく、すべての場面に英語は普遍に関わっているからです。そして私といっしょに学んだ英語学習の勢いは、お家で予習復習する時も、学校を卒業したあともLL教室を卒業したあとも、できればもち続けてほしい。そしていつの日かあなたが英語をある程度マスターされ、私と同じような気持ちで次の世代に英語のすばらしさや大切さを伝えてくれたら、私はこの世に生まれ この仕事を選んで本当によかったと心の底から思えるでしょう。

 

 英語の勉強に終わりは決してありません。そして、このことは英語を教えている今の私にも何ら変わりがありません。勉強していく中でつらいこと、くじけそうになることももちろんあるでしょう。そんな時こそお互いに励ましあい、頑張りあい、目標に向かって共に歩んでいきましょう。

 

 どうぞよろしくお願いします。最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

                                  木村聡