なぜLLで数学を学ぶのか 

 

  気持ちを新たにこれからの勉強に向かわれる皆さんへ、ひとつ私からみなさんにぜひお話したいことがございます。それは、みなさんがこれからこのLL教室で なぜ数学を学ぶのか、また、どのような心構えで数学を学んでいくべきか、についての私の意見です。

 

 皆さんは普段学校で算数や数学を勉強なさっていますが、そもそも算数や数学とはどんな勉強なのでしょうか?皆さんの中にはそんなことは考えたこともないという人もきっといるでしょう。学校でやらされているから仕方なくやっているという人も少なくないかもしれません。私は私の立場から、実際の経験を通してある程度の自信を持っていえることを思い切ってここで皆さんにお伝えしようと思います。その事を知ってもらえれば、あるいは 少しでも意識してもらえれば、皆さんから、きっと算数数学を今以上に一生懸命勉強しようと思ってもらえると考えるからです。

 

 数学とは、大雑把に言うと、物がこの世に存在する、数や量、形といったことを通して世の中のさまざまな現象を論理的にとらえようとする学問だと思います。算数と数学の違いは何でしょう。数学に比べて算数は、より具体的で現実の状況に即した場面からアプローチをするので、比較的小さな子供たちに学びやすく、その意味では数学の前段階と捉えてもらっていいと思います。日本では小学校で算数、中学校から数学と名前を変えますが、扱っている分野は同じでも、数学はアプローチの仕方が具体的なものからより抽象的なものに変わっている点が両者の大きな違いだと思います。

 

 もっとわかりやすく説明しましょう。

 

 1から1000までの整数を全部たして合計してくださいといわれたら、みなさんはどうしますか?

 

 そろばんの得意な人は面倒くさいなと思いつつ、パチパチそろばんをはじき始めるかもしれません。

 

 ところが算数の得意な人は1から500までと501から1000までとに2つにわけ、それぞれのグループからひとつずつ順に、1と1000, 2と999, 3と998、・・・・というふうに両端の数から順にたしていくことを思いつくかもしれません。

 そうすると1001のかたまりが500個できるから全部足して1001の500倍なので答えは500500 とあっという間に正しく計算できる人もいるでしょう。

 

 では数学ではどう考えるでしょう。

 数学では1からaまで足したとして考える方法があります。1からaまでを同じ道を往復するように2回足したとするとa+1がa個できます。

 例えば1から3まで足したいときは、1+2+3+1+2+3と考えるということです。こうすると4のかたまりが3つ出来ます。つまりぜんぶで4☓3=12 でもこれは求めようとしている数の合計の2倍です。ですから最後に2でわって6という答えが出ます。なんだかまわりくどいですね。少しだけ我慢してもうしばらく聞いてください。

 

 1から3までではなくて1からaまでだったらどうでしょう?・・・考え方はまったくいっしょで

(a+1)☓a÷2  これで準備OKです。

 

 ここにaの代わりに1000を入れて考えれば

1001☓1000÷2

=500500 となります。

 

 数学のいいところはさらに、これが1から1000まででなく、1から899までの合計だろうと、1から3045672までの合計だろうと いくらでもこの式に当てはめて計算すれば 簡単に計算できてしまうという点です。

 

 やってみましょう。

 

1から899までの合計は(1+899)☓899÷2=900☓899÷2

=404550

 

1から3045672までの合計は(1+3045672)☓3045672÷2

=3045673☓3045672÷2

=4638054397282 

と なるのです。

 

 ここまで来ると ちょっと読むのにさえ苦労するくらいの数ですね。

 

 そろばんの得意な人は これでも そろばんで

1+2+3+・・・+3045672 と計算したいと思うでしょうか?

 

 

 1から3まで足すのに少し回りくどい考え方をしていたようでも、それが3ではなくて どんな数まででも同じ考え方でよいというところが数学らしいところのひとつです。 数学は実は計算嫌いな人には実に都合のいい学問だと思います。(そろばんと数学は扱っている世界が違います。そろばんで数学の世界を切り開いていくことはできません。)

 

 また数学の発達がなければ現在私たちが当たり前のように使っているさまざまな文明も生まれなかったと思います。近代科学の基本でありつづけている数学。数学は理屈のかたまりです。そういうとわれわれ人間には、悪く聞こえるのも少し不思議な気もします。そうですね、理屈というより理論ですね。私たちは数学を通じて理論をきちんと学ぶことで 理論のよさをうまく生かして、相手に納得してもらったり、違う意見を見直してもらったり、物事をうまく効率的に成し遂げたりするというよい点もあることは否定できないのではないでしょうか。だから数学的発想がこの世で役に立っている場面はあちらこちらにあるはずです

 

 数学はこれでよいはずだという前提で議論を始め、進めて行きます。そして納得できる解にたどり着き、筋道が正しいと検証された時、はじめて、その論理は正しいと証明されます。ですから解にたどり着き、それが正しいと検証されるまで、人は落ち着かなくてしょうがないかもしれません。しかしひとたび検証されてしまえば、人は自分の考え方にゆるぎない真の自信がもてるのです。私たちが数学を勉強していく意味はこういうところにあるのではないでしょうか。数学はスポーツの勝負の世界と少し似ているかもしれません。

 

 人は誰しも自分のしていることに最初から自信はもてない。ただこれでいいはずだという前提で物事を進めます。そしてそれがうまくいったとき人は自分のしたことにある程度の自信がもて、その事実が次の行動へと自分の背中を押してくれるのです。また、うまくいかなかったときはどこでどうつまずいたのかを冷静に振り返って考え、再試行します。物事をきちんと分析できる能力があれば自力で間違いを見つけ、なおすことが出来ます。そしてそのことが次に生かされるわけです。つまり論理的思考力を育てる数学は人間が何か事を始めようとする時の勇気を与えてくれるのに非常に役立つ学問でもあるといえます

 

 人間の実社会で起きていることは、まさに数学の問題一つ一つの小さな世界でも全く同じように起きているのです。子供たちが未知の世界に自分の力でつき進んでいくのに必要なものは、自分を信じられるというある意味漠然とした頼りないかもしれないけど どこかしっかりとしている自信です。私は、数学を正しく勉強していく中でこそ、こうした自信がついていくのではないかと思っています。つまり数学は人間が人間らしい人間であるための力を高めてくれる学問、いわば人間力のための学問なのだと思っています。

 

 単純な計算問題ばかりする練習やパターン化された問題演習や、答えと照らし合わせながらの勉強?が 数学力の向上にたいして役に立たないという意味がこれでお分かりでしょう。そこには自分なりの論理の構築もなければ 論理の葛藤 (これでいいはずなのになんで間違っているんだ?という状況を自力で乗り越えること) もないからですそして本来の数学の勉強と違うことをいくら何度繰り返してやっても、決して数学の力はつかないし、人間力を高めることも出来ないのです。

 

 自分自身で的確な判断を下せるようになること、自分なりの論理展開ができるようになる訓練が、数学を勉強していく上で一番大切だということです。誤解しないでください。そのためにはみんなを納得させられるような客観的な論理展開が何よりも大切です。ひとりよがりな自分勝手な論理では誰も振り向いてくれません。

 

 そして また、たとえ間違っても、その間違いがどこに存在するのかを自分で見つけられる力、これこそが数学を勉強していく中で育まれるべき大切な力です。出来ることばかりが大切なのではありません。間違えることが、むしろ学習者には大切なことなのです。間違え、そしてそれを乗り越えることです。それが多くの人、特に大人たちにはわかっていない。かつて自分もそうであったことを忘れてしまったのでしょうか?出来ることばかりがもてはやされ、幼い子供までが出来ることばかりを要求される。けっして間違えることなく疑問も持たず、あるいはひょっとしたら疑問を押し殺してまでも要領よく?数学をやってきた賢い人はたぶん、大学から会社に入って、大人になって平気な顔でこういうんです。数学なんて何の役に立つんですか? こういう質問が無邪気に出来る大人は、おそらく正解だけをとり続けるために間違ったやり方で勉強をさせられ続け、数学から何も学べなかったかわいそうな、いわば学歴社会の犠牲者なんだろうなってぼくは思います。

 

 数学は みなさんがこの世で生きていくうえで大いに役に立つんです。というよりも私は、数学的な思考なしに生きることなど不可能だといいたいくらいです。もはやこの世は足し算引き算さえできればいい などといっていた大昔の世ではありません。今や国際化社会。言葉も文化も違う人たちを相手に、さまざまな考えを取り入れ、平和に共存していくためには、数学的な論理的思考こそが最も説得的で安全なひとつの道具になるといえると思います。それは数学の世界こそが時を超えて不変で世界共通のものだからです。

 

 

 少しこの辺でまとめましょう。数学は自分なりに筋道を立てて物事を数量的に分析し、説明し、証明し、発見していく学問である。そしてその力をつけるためには積極的に自分からその世界に入り込んでいくことが大切。つまり自分の理論で問題に立ち向かうということ。これができて初めて未知の世界に切り込もうとできる人間力がつく。私はこんな風に考えています。

 

 こういうときはこうすると人から教わった決まりきったやり方で答えが出せる力がいくらついたところで、それは人間力を高めるには至らない。なぜなら自分なりの論理で戦っていないから。数学では、自分なりの論理を通して客観性を見出す忍耐のいる作業が必ず必要になってくる。葛藤に耐える気持ちの強さも数学には必要。大変根気のいる作業です。結果からだけ見たら報われない作業が多いのも事実です。何時間も何日も考えてやっとひらめいて喜び勇んで答えを出したところ、全くの見当違いだったなんていうこともありました。ではそれまでの時間や苦労は全くの無駄だったのか?私は無駄ではなかったと考えます。少なくとも、このやり方では解決できないということが分かったのですから。進歩というものは大部分の失敗によって支えられてきたのです。そしてそうした失敗の積み重ねこそが数学の力につながっていくのではないでしょうか。つまり簡単に言うと、本当の意味で数学と接していくには、かなりの時間と生徒本人の忍耐力が不可欠だということです。これらの真実を理解し、困難を乗り越えようとする皆さんには数学を通じて必ずや素敵な人間力がつくことでしょう。そして、その結果として、テストにあまり困らない人になれるという、数学の神様からの?ちょっぴりとしたご褒美がつくのです。(最初からテストの点数をあげるために組織化された勉強が如何に本来の道筋からはずれた邪道なものであるか、そしてそれが、よからぬ大人たちの商売道具とも化した、本来の数学とは似て非なるものであるということがこれでお分かりいただけますか?彼らは戦っていないのです失敗しないのです。だから速いのです。だから学べないのです。)

 

 残念ながら学校の授業も最近は、進学塾と同じで、こうした自分から働きかけて自ら進めていく勉強の時間があまりにも少ない。授業は説明中心。こうですよ。こうするのですよ。どうして?は あとまわし。というより、そもそも大して問題にすらされない。家でやらせられるのは小学生はせいぜい単純な計算ドリルくらいです。しかしこれでは子供が自ら論理を構築する訓練にはなりません。数学好きを育てることにはつながっていかないでしょう。毎日楽しく計算ドリルをやり続けている人がいるでしょうか?それはわかりきった漢字を何十回も書かせられるのと似ています。

 

 

 自分で論理を立てて進んでいくには、時間だけでなくその人に合わせて的確に導く指導者も必要です。子供は慣れない自発的な勉強に最初はおどおどするばかりですが、次第に自力でぐいぐい進めることを快く思えるようになります。指導者はついつい多くを教えたがりますが、教えすぎても生徒自身の意欲と自信が育ちませし、だからといって全くの放任もだめなのです中庸の指導が出来ている先生、教室は多くないと思います。少なくともLL教室ではそれをいつも意識し、めざしています。教室が本来そうであるべき数学の学習の場になれるように私は一生懸命に努力してまいりましたし、これからもそうしていきたいと思っています。LLの数学の授業が、先生が生徒に説明する一方通行の授業でないことはこれでわかっていただけると思います。ひとりひとりの生徒が中心になって考え、誤りがあれば先生が指摘し、ともに考えていく形式をとっているのも今までお話ししてきたことが背景にあるのです。

 

 最後に、数学は過去に多くの先人天才たちが何100年という長い年月をかけて発達させてきて今の形になっていることも忘れてはなりません。また日々新しい数学も生まれています。いわば数学は人類の知恵と英知の結晶のひとつだともいえます。そんな素敵なものを私たちは普段から学校などで学んでいるのです。実にありがたいことです。そして次世代に伝え、さらに発達させていくべきものでしょう。数学は全世界で共通の文化である、その意味で数学は世界の共通語のひとつといってもいいでしょう。なんだか英語と似ていますね。

 

 

 英語でコミュニケーション能力を高め、数学で論理的思考力を高め、この世の中のために、みなさんからほんのちょっぴりずつ貢献していただければそのうちきっと素敵なことが起きる私はいつもわくわくしながらみなさんを見ています。ともに歩んでいきましょう。

 

                                  木村聡